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■人物紹介 |
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中村半次郎(1838〜1877)
薩摩藩城下士中村与右衛門(桐野兼秋)の第三子として生まれる。
明治になってからは旧姓にもどって桐野利秋。
「人斬り半次郎」という異名がある。
公武合体派の軍学者赤松小三郎と京都市中で遭遇し、幕府の密偵として白昼暗殺した。
明治6年4月、陸軍裁判所の所長に転任したが10月、征韓論が破裂して西郷隆盛が下野するや、辞表を提出して帰郷した。
その後西南戦争で桐野は岩崎口の一塁に籠もって勇戦し、額を打ち抜かれて戦死した。
享年40。 |
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有馬新七(1825〜1862)
薩摩藩伊集院郷の郷士・坂木四郎兵衛の子として生まれる。
天保14年より江戸で学び、安政4年には薩摩藩邸学問所教授に就任。
尊皇攘夷派の志士達と交流して水戸藩とともに井伊直弼暗殺を謀ったが、自藩の同意を得られなかったため手を退き、結果的に水戸藩を裏切る形となった。
その後も過激な尊皇攘夷活動を続け、同志達と共に寺田屋に集っていたところを、同じ薩摩藩士らによって粛清された(寺田屋事件)。享年38歳。
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