■人物紹介

近藤 勇(1834年11月9日〜1868年5月17日)
武蔵国多摩郡上石原村の農業宮川久次郎の三男として生まれ、幼名宮川勝五郎。天然理心流剣術宗家四代目襲名。
新選組局長。鳥羽伏見の戦いにおいて敗れた新選組は江戸に戻る。
甲陽鎮撫隊として隊を再編し甲府へ出陣したが、甲州勝沼の戦いで新政府軍に敗れて敗走。再起かなわず捕縛され、平尾一里塚で斬首される。
享年35歳。

土方歳三(1835〜1869)
武州多摩郡石田村生まれ。
日野の佐藤道場に出稽古に来ていた天然理心流4代目の近藤勇と出会い安政6年天然理心流に正式入門した。
近藤道場の仲間とともに幕府の浪士組に応募して京都へ出る。
近藤勇が局長となると歳三は副長の地位に就く。
鳥羽・伏見の戦いで敗れ会津の防戦に失敗蝦夷地に渡る。
箱館戦争の乱戦の中、銃弾に腹部を貫かれて落馬、絶命する。
享年35歳。

沖田 総司(1842年7月8日1868年7月19日)
陸奥白河藩士の沖田勝次郎で長男。
諱は春政、後に房良。幼名は宗次郎。
無類の天才剣士であったと言われる。
1863年の浪士組結成に参加して上洛、分裂後は近藤らに従い残留し、新選組を結成する。 沖田の一番隊は、剣豪ひしめく新選組の中でも一、二を争う程多くの人を斬ったと言われる。
しかし肺結核が進行して第一線で活躍できなくなる。
1868年に死去、享年27歳。