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■人物紹介 |
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岡田以蔵(1838〜1865)
土佐郡江ノ口村の郷士の長男。
武市半平太に師事し小野派一刀流剣術を学ぶ。
性質は剛勇で武技を好み、非常に逞しい体躯を持った巨漢であったとといわれる。
薩摩の田中新兵衛と共に「人斬り以蔵」と呼ばれ恐れられた。
一時は坂本龍馬の斡旋で、勝海舟の護衛も務めた。
慶応元年五月十日に打ち首、晒し首となった。
辞世の句は
君が為 尽くす心は水の泡
消えにし 後は 澄み渡る空 |
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中岡慎太郎(1838年5月6日〜1867年12月12日)
北川郷柏木の大庄屋中岡小伝次の長男として生まれる。
7歳にして論語や孟子など四書を学び、14歳の時にはすでに島崎塾の代講を務めるまでになっていた。
24歳の時に半平太率いる土佐勤王党盟約に参加。
26歳で土佐を脱藩。
そのわずか4年後、竜馬とともに襲撃される。
襲撃の様子などを語り竜馬に遅れる事2日で世を去る、享年29歳。 |
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