|
■人物紹介 |
|
板垣退助(1837〜1919)
乾正成の子として生まれる。幼名猪之助。諱正形。
藩主・山内容堂の側用役から始まり、藩の要職を歴任。
1867年に明治新政府の参与、1870年に高知藩の大参事、1871年に参議となる。
辞職して自由民権運動を推進した。
1881年自由党(日本初の政党の一つ)を結成して総理となる 。
1882年、岐阜で遊説中に暴漢・相原尚に襲われ負傷する。
百円札の肖像として使われた。 |
|
|
|
吉村寅太郎(1837〜1863)
土佐藩士。尊皇攘夷派。天誅組の一人。虎太郎とも。諱は重郷。
過激な尊皇攘夷活動を行い、寺田屋事件で一時投獄される。
文久3年、孝明天皇の大和行幸を遂行するため大和国で挙兵(天誅組の変)。
戦死を遂げる。享年27。
辞世の句
吉野山 風に乱るる もみじ葉は
我が打つ太刀の 血煙と見よ |
|
|
|