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■戦国武将--人物紹介
直江 兼続(なおえ かねつぐ)(1560年〜1620年1月23日)
上杉氏の家老。樋口家から直江家に養子として入る。
 兜の前立に『愛』の文字を用いていた。
上杉景勝を補佐し、豊臣秀吉から山城守・山形30万石の贈与などの引き抜き行為を幾度も断るなど、忠義に厚い名将。秀吉は「直江兼続は天下の仕置きを任せられる男なり」と評している。
領地経営の手腕に優れ、義と愛を重んじた。

上杉 謙信(1530年2月18日〜1578年4月19日)
戦国大名、後世、越後の虎とも越後の龍とも呼ばれた。
軍神毘沙門天の熱心な信者で、自らを毘沙門天の化身と称し旗印に「毘」の文字を使った。
和歌に通じ、達筆でもあり、特に源氏物語を愛読したという。
武田信玄が北条に塩を止められた時に謙信が「私は戦いでそなたと決着をつけるつもりだ。だから、越後の塩を送ろう」といって、信玄に塩を送ったという有名な逸話の持ち主。
辞世:四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒


上杉 景勝 (1556年1月8日〜1623年4月19日)
上杉謙信の実姉・仙桃院の実子で、上杉謙信の養子。
謙信を尊敬するあまり、謙信のようにありたいと考えて行動していたため寡黙な人であったらしい。
江戸時代、出羽米沢30万石藩主として減移封され、上杉家は景勝一代において北信越の強大な大大名から出羽半国の一大名へと没落した。
減封後は米沢藩の藩政確立に尽力した。
キリスト教にも寛容であり、幕府の禁教令にも「当領内には一人のキリシタンも御座無く候」と答えて、領内のキリシタンを護ったとされる。


武田信玄 (1521年12月1日〜1573年5月13日)
戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐の虎と呼ばれる。
上杉謙信と5次にわたると言われる川中島の戦いを行う。
「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」といい、生涯城郭を造らなかった。
また、「疾如風徐如林侵 掠如火不動如山」を旗印としていた。
なお、死ぬ時に『なお三年、わが喪を秘せよ』と言ったとか。
辞世の句は、「大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流」