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■戦国武将--人物紹介

織田 信長 (1534年6月23日〜1582年6月21日)
当時の常識や権力に囚われず、新しい考え方や文化を積極的に取り入れる見識の広さ、合理性と冷徹さを兼ね備えた知性によって、統一者のいなかった政治的混沌を収集に向かわせた人物。
幸若舞『敦盛』を好んだといわれている。
南蛮好きで晩年は戦場に赴くときも、南蛮鎧を身に付けていたといわれている。
また、相撲好きで安土城などで大規模な上覧相撲をたびたび開催した。


豐臣 秀吉 (1537年3月17日〜1598年9月18日)
尾張国の半農半兵の家にうまれる。猿と呼ばれたことは有名である。
母親の大政所への忠孝で知られる。
女好きで知られ、多くの側室をおいていたが子宝には恵まれにくかった。
側室の淀殿は浅井長政の娘、織田信長の姪である。
側室の淀殿が秀頼を産むと、養子秀次との対立が深刻となる。文禄4年、関白・豊臣秀次を「殺生関白」と呼ばれたほどの乱行を理由として廃嫡し、高野山へ追放。のちに謀反の容疑で切腹を命じた。
辞世の句:露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢


馬印

徳川家康 (1543年1月31日〜1616年5月22日)
日本の戦国武将・江戸幕府の初代征夷大将軍。
死後、神君、東照宮、権現様と呼ばれていた。
幼少期より今川氏に人質として送られ忍従の日々を過ごす。
「人の一生は重荷を負ふて遠き道をゆくがごとし・・怒りは敵とおもへ」は有名な家康公遺訓。
健康オタクでその食事は質素であり、また生薬にも精通し、その知識は専門的で一説には自分で調合していたともいわれる。その為かどうか、当時としては極めて長寿の75歳まで生きた。


旗印の
文字


伊達政宗 (1494年〜1556年5月28日)
戦国時代の武将。陸奥仙台藩の初代藩主。幼少時に疱瘡により右目を失明、独眼竜とも呼ばれる。
支倉常長を使者としてローマに派遣し国王・フェリペ3世と軍事同盟を結ぶ交渉をした。今でもスペインのコリア・デル・リオには現地に留まった仙台藩士の末裔が多数存在し、彼らは「日本」を意味する「ハポン」を姓として名乗っている。
息女五郎八姫は徳川家光の正室となっている。
辞世の句:曇りなき心の月をさき立てて 浮世の闇を照らしてぞ行く