オリジナルキャラクターはCHARA-POP<090-7848-0462>
■戦国武将--人物紹介
北条早雲 (1432年〜1519年9月8日)
室町時代中後期の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖。
一介の素浪人から戦国大名にのし上がった下剋上の典型とされる。
早雲駿河下向時、仲間6人と、伊勢で神水を酌み交わして、一人が大名になったら他の者は家臣になろうと誓い合ったという、三国志の桃園の誓いのような話が残っている。
妹が駿河の今川義忠の側室になっている縁で今川家の内紛を収めた功により興国寺城主となる。

今川義元 (1519年3月17日〜1560年6月12日)
駿河の守護大名である今川氏の第9代目当主。
正室は武田信虎の娘で武田信玄の姉。
養育係の大原雪斎とともに善得寺、建仁寺、妙心寺で修行し五山文化に親しんでいたが、父の死で急遽還俗し駿府に戻った。
公家のようにお歯黒をつけ、置眉、薄化粧をしていたと言われている。
桶狭間の戦いで織田信長に討たれた。


山本勘助 (1493年〜1561年10月18日)
戦国時代の武将。武田信玄の伝説的軍師として有名。
勘助は26歳(または20歳)のときに武者修行の旅に出た。10年の間、中国、四国、九州、関東の諸国を遍歴して京流(または行流)兵法を会得して、城取り(築城術)や陣取り(戦法)を極めた。勘助は色黒で容貌醜く、隻眼、身に無数の傷があり、足が不自由で、指もそろっていなかったため、今川義元にきらわれ仕官できなかったと言われる。武田家は知行100貫で勘助を召抱えようと申し入れ、勘助と会った晴信は勘助の才を見抜き知行200貫で迎えた。


黒田官兵衛 (1546年12月22日〜1604年4月19日)
戦国時代、安土桃山時代、江戸時代前期にかけての武将・大名。
豊臣秀吉の側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍した。「ドン・シメオン」という洗礼名を持つキリシタン大名でもあった。
竹中重治(半兵衛)と共に秀吉の双璧と謳われた。しかし、孝高の智謀を恐れるようになったという。秀吉が多くの功績を立てた孝高に対して、大坂から遠く離れた豊前の中津でわずか12万石しか与えなかったのはこのためだという。
遺訓「人に媚びず、富貴を望まず」