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■戦国武将--人物紹介
真田幸村 (1432年〜1519年9月8日)
安土桃山時代から江戸時代前期の武将。天才軍師として知られる。
旗印である六文銭は、亡くなった人を葬る時、棺に入れる六文の銭の事で、三途の川の渡し賃のことである。これを旗印にすることは仏法のために身命をささげて惜しまないことを意味するといわれている。
人柄は、柔和で辛抱強く、物静かで怒る様なことは無いという。
豊臣家への忠誠を最期まで貫き通している。ちなみに兄真田信之は徳川に参じている。
辞世の句:さだめなき浮世に候へ者、一日先は知らざる事
石田三成 (1560年〜1600年11月6日)
太閤検地においては検地尺を定めるなど、大きな実績を残した。豊臣家奉行の筆頭格であり、優れた行政能力を持った官僚であった。
不正を極度に嫌い、情実も介さず、自らの信念に基づいて行政を司っていた。そのあまりな謹厳実直な性格が、周囲からは融通のきかない傲岸不遜、横柄な態度と映り、諸大名からの人望を得られず 孤立ぎみであった。
佐和山で善政を敷いていたため領民から慕われ、三成の死後も佐和山の領民はその遺徳を偲んで地蔵を築くなどしてその霊を慰めたという。
辞世の句:筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり

明智光秀(1528年〜1582年7月2日)
戦国時代、安土桃山時代の武将。
羽柴秀吉の毛利征伐の支援を命ぜられて出陣する途上、京へ入る段階になって、光秀は「敵は本能寺にあり」と発言し、主君信長討伐の意を告げた。首尾よく信長を討ったものの間もなく秀吉に攻め滅ぼされる。三日天下と言われるゆえんである。
愛妻家としても知られており、正室である煕子が存命中はただ1人の側室も置かなかったと言われている。尚、三女玉子は細川忠興の妻『細川ガラシャ』である。
辞世の句:順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す

毛利元就(1546年12月22日〜1604年4月19日)
室町時代後期から戦国時代にかけて戦国大名。、安芸の国人領主。
三本の矢の逸話が有名である。
合戦、策略、暗殺、買収、婚姻など、勝利のためにあらゆる手段を用いた戦国時代最高の謀略家であり、西国随一の戦国大名と評される。
また、我が毛利家は、版図の保全のみを願い、天下を望むなかれという遺言を残している。しかし、元就の不運は嫡男・隆元の早世であった。隆元死去の報告を聞いた際、元就は卒倒し、三日三晩泣き明かしたという。
辞世の句:友を得て なおぞうれしき 桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は