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■戦国武将--人物紹介 |
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福島正則(1561年〜1624年8月26日)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。
母が豊臣秀吉の叔母だったため、その縁から幼少より秀吉に仕える。
関ヶ原の戦いでは勝利に貢献第一と目され、西軍総大将・毛利輝元からの大坂城接収にも奔走し、戦後安芸広島と備後鞆49万8200石の大封を得た。
しかし、台風による水害で破壊された広島城を無断でほんの少しだけ修理したことが武家諸法度違反に問われ改易、越後国魚沼郡、4万5000石に減封される。さらに、政則死去の際、家臣が正則の遺体を幕府の使者が到着する前に火葬したため福島家は残りの2万石も没収され、後を継いだ正則の子・正利は3000石の旗本に身分を落とす。
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