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■戦国武将--人物紹介 |
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斉藤道三
(1494年〜1556年5月28日)
戦国時代の武将。美濃の戦国大名斎藤氏の初代当主。北条早雲らと並ぶ下克上大名の典型とされる。娘の帰蝶を織田信長に嫁がせている。
家督を子の義龍へ譲り、自らは常在寺で剃髪入道を遂げて道三と号し、鷺山城に隠居したが、義龍よりも、その弟孫四郎や喜平次らを偏愛し、ついに義龍の廃嫡を考え始めたとされる。道三と義龍の不和は顕在化し義龍は弟たちを殺害し、挙兵する。
娘婿の信長が援軍を派兵したものの間に合わずに衆寡敵せず、戦死した。 享年63。
辞世の句:
捨ててだに この世のほかは なき物を いづくかつひの すみかなりけむ |
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前田利家(1539年1月15日〜1599年4月27日)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。加賀藩主前田氏の祖。
小姓として織田信長に仕え、青年時代は赤母衣衆として信長に従軍、槍の名手だった故「槍の又左」の異名をもって怖れられた。
五大老・五奉行の制度を定めた秀吉より五大老の一人に命じられる。
後年には漢籍などの学問も学び、茶の湯、能などの文化的活動も積極的に行った。茶道は千利休、織田有楽に学び、茶入は秀吉から譲られた名品「富士茄子」を所有。
特に能を好み、気晴らしや社交術として三日に一度は稽古をする程の熱の入れようであったという。
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