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■戦国武将--人物紹介 |
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本多忠勝(1548年〜1610年12月3日)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。伊勢桑名藩初代藩主。
徳川四天王・十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。出陣するとき、忠勝は愛槍である蜻蛉切と鹿角脇立兜、そして肩から大数珠をさげるのが常であったといわれる。蜻蛉切は穂先に止まった蜻蛉(とんぼ)が真っ二つになったという逸話から名が付いた槍の号。
鹿角脇立兜がシンボルで、豊臣秀吉からも東国一の勇士と賞賛される。 |
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津軽 為信(1550年1月18日〜1608年1月22日)
弘前藩の初代藩主。 南部一族の豪族の出。
関ヶ原の合戦中、国許では家臣反乱が起こり、居城を占拠されたが、西軍敗戦の報が伝わると反乱方は戦意喪失の上で追討されている。(為信は東軍についていた。)
あご鬚が長く垂れていたので「髭殿」と呼ばれた。これは為信が三国志の関羽にあこがれての私淑であったとされている。
嫡男信建が京で病に倒れた際、津軽にいた為信は、自身も病に陥っていたにもかかわらず、信枚を伴って京まで見舞いに訪れ、そのまま同地で没している。
弘前市を中心とした津軽地方では人気が高い。
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