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■戦国武将--人物紹介

千 利休(1522年〜1591年4月21日)
戦国〜安土桃山時代の茶人。無駄を省いて、緊張感を作り出すというわび茶(草庵の茶)の完成者として知られる。茶聖。
秀吉の重い信任を受け、北野大茶会を主管し、禁中献茶に奉仕し、黄金の茶室の設計などを行う。聚楽城内に屋敷を構え聚楽第の築庭にも関わり、碌も三千石を賜わる。
しかし、1591年、利休は突然秀吉の勘気に触れ、堺に蟄居を命じられる。弟子たちが奔走したが助命は適わず、京都に呼び戻された利休は聚楽屋敷内で切腹を命じられる。享年七十歳。

石川五右衛門(生年不詳〜1594年10月8日)
伝説の大泥棒。浄瑠璃や歌舞伎の創作の中で義賊として扱われ人気を博す。
一説に三好氏の臣 石川明石の子で、体幹長大、三十人力を有し16歳で主家の宝蔵を破り、番人3人を斬り黄金造りの太刀を奪い、逃れて諸国を放浪し盗みをはたらいたが、文禄3年追捕せられ、京都三条河原で一子とともに釜で煎殺されたという。
石川五右衛門という人物が安土桃山時代に徒党を組んで盗賊を働き、京で処刑されたという事実は間違いないと考えられている。
辞世の句『石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ 』は有名。

足軽
戦国時代以前は足軽は従者や運搬などの兵站や土木作業に従事させられることが多かった。戦国時代を迎え集団戦が本格化・大規模化していくと、訓練された長槍・弓・鉄砲の足軽隊が組織され備の主要な部隊として活躍するようになる。
戦国時代後期には足軽大将の家禄は、200石から500石程度で中級の武士として認められる。兵卒の身分は依然として武士と農民の間に位置して低かったが、功を認められれば侍や特異な例ではあるが豊臣秀吉のように大名にまで出世する者もあった。
長宗我部軍一領具足の装備・ 古頭形鉢兜 ・ 笠じごろ ・ 鎧下着 ・ 脇差 ・ 腰紐 ・ 股引

足軽組屋敷
八軒長屋

鉄砲隊
戦国時代以降、足軽が新たな戦闘力として認識されると、戦国大名の軍制は備を基本としたものへ変貌し、その中で騎馬隊は備の一隊として足軽隊の形成した前線の突破、又はそれらに対する逆襲が主な任務とされた。鉄砲隊もその一つの形態オ。一備に配備される騎馬隊は二十〜五十騎で編成されていた。
火縄銃(鉄砲)は近江の国友、同じく日野、紀州の根来、和泉の堺が主要生産地として栄えた。

火縄銃 

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