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■戦国武将--人物紹介

濃姫<帰蝶>(1535年〜1612年8月5日)
斎藤道三の娘、織田信長の正室。明智光秀とは従兄妹同士という説がある。
信長の閨房における醜聞が一切表に出ずきちんと取り仕切られていたことから、無能な女性ではなく一正室多側室多愛妾多伽係という当時の奥制度をきちんと管理出来る女性だったと考えられる。
婿である信長を美濃国の後継者と定めた道三の国譲状があり、濃姫を正室としておくことが信長にとっても必用不可欠であったと考えられる。
後に信長の嫡男の信忠を濃姫が養子にしている。信長は家督を信忠に譲り、美濃と尾張の支配を信忠に委ねている。

 
お市の方(1547年〜1583年6月14日)
織田信長の妹。市姫とも小谷の方とも称される。戦国一の美女と賞され、さらに聡明だったとも伝えられる。3人の娘、茶々、初、江の母。
兄・信長の命により近江の浅井長政と政略結婚し、]織田家と浅井家は同盟を結ぶ。長政と市の夫婦関係は周りが羨むほど仲睦まじかったという。小谷城が陥落後は清洲城にて兄の信長、信包の庇護を受け、三姉妹とともに九年余りを平穏に過ごした。
信長没後、柴田勝家と再婚する。 勝家が羽柴秀吉と対立して賤ヶ岳の戦いで敗れた後勝家と共に越前北ノ庄城内で自害した。享年37。
辞世は「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 別れを誘ふ ほととぎすかな」

愛姫(1568年〜1653年2月21日)
伊達政宗の正室。 12歳で伊達政宗の元に嫁ぐ。五郎八姫、忠宗(仙台藩二代藩主)・宗綱・竹松丸と、政宗との間に4人の子をもうける。
聚楽第の伊達屋敷に住むようになってからも、いわば女性外交官的役割で政宗に京の情勢を知らせ「天下はいまだ定まっておりませぬ。殿は天地の大義に従って去就をお決め下さりませ。私の身はお案じなさいますな。匕首を常に懐に持っております。誓って辱めは受けませぬ」という手紙を送った賢夫人。政宗の17回忌前に彼女の命により、木造の政宗像が制作された。86歳で死去する。 雲居禅師は、愛姫について「家庭をよく治め、慈愛深く聡明な奥方であられました」と語っている。

 

お船の方(1557年〜1637年1月29日)
直江兼続の正室。
越後与板城主である直江景綱の娘として生まれる。父には男児が無かったため、その没後は養子の直江信綱が迎えられ、船はその信綱の正室となった。信綱の死後、上杉景勝の命令で直江家を相続することになった樋口兼続を婿養子に迎えた。 兼続と船の仲は大変良かったようであり、兼続は生涯、側室を持たなかった。
景勝唯一の子・定勝を直江夫妻が養育した。 定勝とは大変深い交流があったようで、景勝が死去し、定勝が米沢藩主になった後も、船は化粧料3000石に加え手明組40人を与えられている。


直江夫妻の墓